昼食に立ち寄ったカフェで、「ジェーブシカ」と呼び止められる。同い年くらいのロシア人女性だ。小声でヒソヒソと何かを説明し始めたので、ロシア語はわからないが、ウンウンと聞いていると、「カモン」と手招きをする。カフェを出て隣家の裏口を庭のほうへずんずん入って行く。するとそこには荘厳な佇まいの大きな灯籠があった。日本時代のものだ。大きな体の隣家の主は、どうぞご自由に、という身振りでとても気さくだ。どうやらこの家の先に神社があったらしい。そこで私は、その灯籠が、他の街に遺跡として残るそれらより、遥かに状態がいいことに気づいた。よくみると、傾きを支えるかのようにロープで補助もされている。艶やかな水色のワンピースをきた家主は、ほこりを手で丁寧にはらいながら、灯籠に刻まれた日本人たちの名前をなぞっている。昭和14年7月建立、とある。きっと家主が、あるいは先代から、手入れしてきてくれたのであろう。よくみると、木の柵で四方をすっぽり囲まれたその家の庭は、灯籠を中心にして造られていた。バケツにためた雨水で、灯籠にゆっくりと水をかけた。なにやら文字が浮かび上がる。「アジン、ジェーシチ、チトゥリ、ヴォーセミ」、「1、9、4、8」だ。先ほど案内してくれた若い女性も一生懸命説明してくれるのだけれど、私のロシア語では到底理解できない。諦めて、写真を撮ろう、というと「ダメよ、私はスタイルが悪いから、カーチャを撮って!」と首を横に振る水色ワンピース。「そんなことないわよ、一緒に撮ってもらいましょう」と、カーチャは家主の手をひっぱり、とびきりの笑顔を見せてくれた。