55-06

2010.08.22

2010年8月、サハリンへ行く日が近づいて来たある日、祖母がふいに「小学校の同じクラスで、すごく印象に残っている人がいる。」と話し始めた。すごく優秀で美人だった、けれどもその人は朝鮮人だったので女学校への進学を諦めた、ということだった。その後どうしているかな、と心の片隅にあったという。62年ぶりに故郷を訪れるというので思い出したのであろうか。午後、一緒にお茶のみをしているとそんな話をしてくれた。
5泊6日の故郷再訪をずっと一緒についてまわり、通訳をしてくれていた朝鮮人の男性がいた。年は祖母より2つ上で、生まれは恵須取。日本名も持っていて、街のほかの子供たちと同じように山市街にある小学校へ通い、戦後は祖母たち日本人が去っても街へ残った。「この街のことならなんでも知っている」その言葉を聞いて、祖母は渡航前わたしに聞かせてくれた女性のことを話した。その男性は祖母に「あなた何年生まれ?」と聞いた。「昭和6年です。」祖母が答えた。「恵須取第二小学校へ通っていて、すごくよくできた方だった。」「名前は?」と男性が聞き返すと、はっきり記憶にある、というその名前を伝えた。えっ、という声をあげ、「うちの家内です。」と男性が言った。祖母は声を失い両手を口にあてた。
帰国の日、港へ向かうバスの中、祖母は両手で小さなポチ袋を握りしめていた。「これな、ネックレス。」旅の間ずっと身につけていた茶色いネックレスが、祖母の首元から消えていた。彼女が自分のことを覚えているかわからないけれど、形見に渡したい、ということだった。人にものを贈りたいと思う気持ちは、誰に対してでも湧くことではないと思う。バスを降りるとき、通訳の男性の手に握らせた。男性は、自分の家の住所が書かれた名刺サイズの紙を祖母に渡した。
数ヶ月後、サハリンから、美しい日本語で書かれた手紙が届いた。