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2014.05.11

ステフに連れられて彼の友人の家へ行くと、リビングの壁に大きな赤い絨毯がかけられていた。部屋のインテリアなど普段あまり気にも留めないが、その絨毯にはひときわ目が惹かれた。

祖母は戦後、恵須取の王子病院で看護婦として働いていた。父親が王子製紙に勤めていたので、社宅に住んでいたが、戦後シベリアへ行ってしまって行方がわからなくなっていたので、そのうち出て行くようにいわれた。当時、母親が王子病院で看護婦長として働いていたので、不憫に思った病院の院長先生が、ここに住みなさいと言って、診察室のひとつを家族にあてがってくれたという。その院長先生は、金髪に青い瞳の美しいロシア人女性で、祖母は「ドクトル」と呼んでいた。ドクトルはたいそう祖母をかわいがってくれた。仲間うちだけで「カーチャ」と呼ばれていたその呼び名はいつの間にかドクトルにも伝わっており、廊下で挨拶をすると「ドーブレウートラ、カーチャ(おはよう、カーチャ)」と返してくれたという。
ある日、ドクトルはパーティへ行くため、病院の一角にある彼女の部屋の留守番を祖母に頼んだそうだ。初めて入るドクトルの部屋の壁には、真っ赤なペルシャ絨毯がかけられており、あまりの美しさに祖母はぼうっと見とれてしまった。きちんとシーツがかけられた大きなベッドの上には触ったこともないふかふかの枕があり、気持ちよすぎてついその上で居眠りをしてしまった。
どれだけ眠ったかはわからないが、「ケイコ、ケイコ」と呼ぶ声が聞こえてきた。「カーチャ」とドアを叩くドクトルの声も。留守番だったので、ドアに鍵をかけたままにしていたら、パーティーから帰ってきたドクトルが部屋に入れず外で困っていたのだった。祖母が飛び起きてドアを開けると、あきれて怒っている母親の隣で、ドクトルは優しく微笑んでいたという。