25-18

2013.02.15

ナージャは両親や兄弟が話していた日本語を、少し覚えている。「しゃっこい」や「めんこい」、接続の意味で使われる「したっけ」など、多くは北海道弁だ。両親は北海道から樺太へ来たことがうかがえる。わたしのロシア語とナージャの日本語は同じくらいなので、込み入った話ができなくてもきちんと意思の疎通はできている気がして、ナージャと二人で過ごす時間はなんとなく愛おしい。

ナージャの寝室にある大きなベッドの上で二人でごろ寝しながらテレビを眺めていると、ふいにナージャが「ミホコーめんこーい」と言ってわたしの頭を撫でた。24にもなって、かわいいねと頭を撫でられたことに複雑な気持ちになったが、それが照れからくる恥ずかしさとではないことも確かだった。露骨に拒否する理由もなく黙っていると、今度はわたしの手をとった。「ミホコ、エストル、いるだ?」どういう意味だろうと考えていると「ナージャと、エストル、いるだ?」と続けた。このまま恵須取に残れということだろうか。しかしナージャは切実に訴えかけてはこない。ずっと純真の笑顔なのだ。さっきまでの朗らかな気持ちが不安に侵蝕されていくような気がした。なぜそう思うのだろうか。急に自分の存在が危うく感じた。まるでサハリンがとても遠い国だと感じているかのように。

祖母の故郷、かつての日本。その事実をわかったつもりでこれまで4回サハリンへ来ているし、渡航回数を重ねるごとに「国境」が薄れていくような気がしていた。しかし「街に残らないか」という誘いには心の奥底で拒否反応を示してしまった。
何気ない一言かもしれない。ナージャは本気ではなかったのかもしれない。だけど自分の中でサハリンはまだ「外国」という認識の内にあるのだと気付いてしまった。頭を撫でられたときに感じた言い表せない複雑な気持ちは、自分がこの土地にきちんと向き合えていない後ろめたさなのかもしれない。