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2010.08.19

病院に勤めていたとき、祖母は院長先生のご主人に、「うちの娘にならないか。」と言われたことがあるそうだ。当時、その病院の一角に家族で住むことを許可してくれた上に、祖母のことを夫婦はたいそう可愛がっていてくれていた。
「モスクワへ行かないか。モスクワは何でもあるんだよ。きれいな服も買ってあげるし、大学にも行かせよう。」
その誘いに、祖母の胸は夢と期待でいっぱいになった。
「モスクワへ、行ってみたいんだけど。」
自室に帰り、母親にそう告げた。だが、芳しい答えは返ってこなかった。父親はシベリアへとられ、はっきりとした行方がわからなくなっていたので、片親の判断だけで知らない土地へ娘をやれない、ということだった。祖母はそのまま、昭和23年に北海道へ引き揚げるまで、樺太に残った。

「行ってたらどうなってたかなあ。」と、ある時そんな話をしてくれた。それから再び誘い受けることはなかったという。しかし、70年がたった今でもそのことを鮮明に覚えている。モスクワへの想いを話す祖母は、諦めた過去をなつかしんでいるのではなく、未だに夢をみているように嬉々としていた。