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2014.05.13

昨晩の雨のせいで今日はくもり。それでもなんとか天気はもちそうなのでダーチャへ行けそうだね、と木村さんは言う。ダーチャとは、ロシアの家庭菜園付き別荘のことであるが、サハリンの地方の街では贅沢な別荘というよりも、畑作業の合間に少し休憩できるような、つつましい家屋というほうがイメージが近い。去年の冬訪ねて来た時に、暖かくなったら一緒にダーチャへ行きましょう、と言ってくれていたので、この春が来るのをわたしはとても楽しみにしていた。昨日、一生懸命探していた畑に蒔くための豆も見つかったようだ。孫があんこ好きなのでたくさん作ってやるんだといって、そのもとになる小豆を見せてくれた。

バスに乗る前に、小さなマガジンで甘い菓子パンを買った。「ここのパンね、甘くておいしいのよ。」と言って両手におさまるくらいのひとかたまりをかばんにしまった。入口のヒーターの上には小さな手製の木の台があって、三毛猫が寝ている。「ああ、きょうもバンペイしてんだなあ。」と言って木村さんはその番兵猫に一瞥をくれた。

バス停には木村さんの友人らしき朝鮮系の女性がいた。バスが来るまでの間二人はおしゃべりをしていた。木村さんは初め、日本語で話をしていたが、ところどころにロシア語がまざり、さらに韓国語になったりもした。それでも相手の女性はアハ、アハ、と終始うなづきながら、ロシア語で返事をしている。どこへ行ってもよくしゃべる。そしてよく笑う。木村さんのキャッキャという高い笑い声はとても愛くるしくて、つられて笑顔になる。

一日の中で本数の多くない街の路線バスに乗るために、続々と人が集まって来る。木村さんと二人バスへ乗り込むと、係の女性が集金にやってきた。どこまで行っても、一人15ルーブル。次の停車場で孫娘のアリーナが乗ってきた。こうして週に何度かは、木村さんの畑仕事を手伝っているそうだ。畑までの道は墓参団と一緒に通った見覚えのある景色ばかりだった。夏になるとぼん花の生い茂る丘の下、昔の線路を左手に鉄橋を渡り、塔路第一小学校跡と、丘の中腹に転げた奉安殿、炭鉱の事務所跡。以前は特別なアイコンとして映っていたそれらの遺構を、今日はこの街に溶け込んだ風景として、ただただ流した。バスは道すがら少しずつ客を拾い、畑へ着く頃には20人分の座席しかない小さなバスは、立つ人もでるほどいっぱいになった。