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2014.05.13

木村さんの自宅最寄りのバス停を出発して20分が経った頃、外から来た者にはバス停かどうかの区別もつかないような場所で下車した。アリーナは木村さんが手に提げていたカバンをひょいと持ち上げると、もう一方の手で木村のさんの手をとり、二人はゆっくりゆっくり歩き出した。バス停からはそう遠くないところに、木村さんのダーチャがあった。ちょうど中が見えないくらいの高さの木柵にかかった鍵をあけると、敷地内には畑が3つあり、緑色の母屋らしき建物と、小屋が建っている。畑の畝はそれぞれ7、8mほどで、広さも民家が2、3軒は建てられるようなほどゆとりがあり、ここへじゃがいも、とうもろこし、大豆、小豆など、近くに住んでいる息子や娘家族に分けられるくらいたくさん作るんだと教えてくれた。母屋は、元々普通の民家だったものを1960年に買い、ペンキを塗ったり屋根を直したりして使っているそうだ。中へ入るとほんのり薄暗く、物が無造作に積み上げられているところを見ると秘密基地のようだが、くもった窓にかかる黄色いレースのカーテンが、室内に入ってくる光を淡くやわらかく演出しているおかげで、なんとなく懐かしい気持ちになる。台所には木村さんが「ペチカ」とよぶカセットコンロや、流し台、ソファやコートかけもあり、お茶のみ用に休憩できるようになっている。

手慣れた様子でリズムよく土を耕すアリーナのあとを木村さんがゆっくり種を蒔きながら追い、二人で一畝ずつ丁寧につくっていく。一番面積の広い畑にはとうもろこしと小豆を蒔いた。とうもろこしは少し蒔くのが遅れたから、いつもは盆に収穫するところを、今年は少し遅くなりそうだね、と言っていた。休み休み、この日は畝を10本ほどつくった。

昼休憩に、木村さんは紅茶をいれてくれた。そして来る前にキオスクで買った菓子パンを大きくちぎり、バターをたっぷり塗って渡してくれた。まだあるからね、と言いながら、おなじように分厚くバターを塗ったパンをとてもおいしそうにほおばった。

サハリンへ来るといつも考える。暮らしを豊かにするものはなんなのだろうか。仕事があること、家族や友達がいること、おいしいものをたくさん食べること、きれいな街に住むこと。物質的なことを基準にものごとを考えてしまうことへの違和感が、来るたびに強くなる。木村さんやナージャの暮らしはシンプルだ。ものも食べ物もお金も、自分たちが必要な分をきっと知っている。そして人種や住んでいる国は関係なく、身を置く場所に、自分を自分として受け入れてくれてる人たちをごく自然にもっている。自分の身に起こりうるあらゆる可能性や選択肢を吟味した上で決めた「いま」ではないかもしれない。だけど、ただ在るということが、どうしてこんなにも幸福に映るのだろう。